お正月に実家の前がよく出初め式の場になった。いつもなんでこんなことするのかなあ。。ってそんなに感激もしないで見てたけど,実はあれだけできたおじさんってすごかったんだね。これを見てて素直に思うわ。。。 http://t.co/PhyMQFqxnx
— 風信子 (@studiohyacinth) 2015, 7月 4
幼い私が拍手してたおじさん達、今もお元気なのかな。。
あの頃は,まだそんな文化や町のにぎわいがあった。
なつかしいね。。。
お正月に実家の前がよく出初め式の場になった。いつもなんでこんなことするのかなあ。。ってそんなに感激もしないで見てたけど,実はあれだけできたおじさんってすごかったんだね。これを見てて素直に思うわ。。。 http://t.co/PhyMQFqxnx
— 風信子 (@studiohyacinth) 2015, 7月 4
福島の地に生まれながら,こんな先人の偉業を今まで知らなかった。’
https://t.co/iI60YsU2b4遠藤現夢
息子さんがのこされた句が、心に響く。
— 風信子 (@studiohyacinth) 2015, 6月 29
我家が日本語学校をやめたことは、震災も大きかった。通学を渋る子ども達を連れて行く私の元気が萎えたのだ。学校の中で,震災が話題になることが辛かった。故郷であるはずなのに、私の居場所はない土地。それを思い知らされた。 http://t.co/zjHEg0VXaX
— 風信子 (@studiohyacinth) 2015, 3月 12
学校にはいろいろなご家族がいる。日本に帰る場所がある親御さんばかりではない。夏休み,日本への里帰りの話題に傷つくお子さん、親御さんもいる。今でも先生方は、当たり前のように、夏休み日本の学校に通うことを奨励しているのかしら。配慮が必要な話題ではないかなあ。。と思う。
— 風信子 (@studiohyacinth) 2015, 3月 12
震災のあの頃、被災地を故郷に持つ私は、故郷の人々と気持が寄り添えないもどかしさと、この地で行われる「報告会」というものに、其の都度胸が締め付けられるような思いだった。いつかその気持をまとめてみたいと思っても、まだできない。こんなことが私の心の傷なのだと思う。故郷だから,複雑なのだ
— 風信子 (@studiohyacinth) 2015, 3月 11
「報告会」と称するのもの、あの「熱気」が嫌だった。その近くに身を置くといろんな気持が私の中にわき上がってきて、哀しかった。そんな頃,「花は咲く」が流れて来て、涙がとまらなかった。「変わりたい自分もいた」その歌詞が本当に 身にしみた。故郷は遠くにありて思うもの。故郷だから複雑なのだ
— 風信子 (@studiohyacinth) 2015, 3月 11
@nakachosuzume 有り難うございます。
— 風信子 (@studiohyacinth) 2015, 3月 11