父が亡くなったとき、信子なりにお父さんを思えばいい。形にこだわる必要はないんだよ。って夫は慰めてくれた。https://t.co/9jeHQHxfLM これのお陰で、私はこんなにふるさとを離れていても寂しくない。川の横を通るたびに父と話す。供養の形はそれぞれ。私はこれで十分幸せ。
— 風信子 (@studiohyacinth) 2016年7月19日
2016年7月19日火曜日
供養の形はそれぞれ。。
2016年7月9日土曜日
暮らしの手帖
私の一番年上の従兄弟のお嫁さんが、中学生の私に「のんちゃん、これほど素敵な雑誌はないのよ。これのよさがわかる女性にならなくっちゃ」って暮らしの手帖を買ってくれた。でも、あの頃の私にはただの古ぼけた雑誌、良さなどこれっぽっちもわからなかった。遅まきながら、今しみじみその言葉を思うよ
— 風信子 (@studiohyacinth) 2016年7月9日
本当に、これほど美しく、心を込めた雑誌があるかな。。って思う。https://t.co/xkQuk2iw3V 若い頃に受ける言葉って不思議。そのころにはわからなくても心の隅に何かが引っかかる。暮らしの手帖は休刊されても、私の心に彼女の言葉が消える事はなかった。Hさん、元気かな
— 風信子 (@studiohyacinth) 2016年7月9日
2016年6月3日金曜日
雑多な育ち
私が小学生の時町で一番大きな山の頂上で芋煮会があった。バスに乗って帰路につくと、後ろの方に座ってた子が奇声をあげた。置き去りにされた同級生が必死にバスを追いかけていたのだ。慌てて止まったバスから降りたお母さん「この馬鹿たれ!なんで乗ってないんだ!」っ頭をベシャリ。K君、元気かな。— 風信子 (@studiohyacinth) 2016年6月3日
私は田舎の雑多な環境で育ったから、今思えば虐待でしょう。って抗議してくなるような親御さんもいろいろ見た。そして、その中でたくましく育つ同級生も。育児に正解などない。子育てって何でもあり。そんな私の開き直ったような子育てを支えてくれるのは、虐待をしてるようで優しかった目かもしれない
— 風信子 (@studiohyacinth) 2016年6月3日
病的な児童虐待にはもちろん注意を払わなくてはいけないと思うけど、虐待を疑われることを恐れて子育てをするのは、なんだか上辺だけの取り繕りみたいで不健康だと思う。子育てって、理想通りにいかない泥臭いものだって割り切ればいいのにね。— 風信子 (@studiohyacinth) 2016年6月3日
2016年4月25日月曜日
刺身のつまをみると、近所のお魚屋さんのお婆ちゃんを思い出す。腰が殆ど直角に曲がったお婆ちゃんが、よく店先で楽しそうにつまをつくってた。グルグルハンドルを回すと出てくるつまが面白くて眺める私。与えられた仕事があることの幸せを、何となく幼心に感じる風景だったのだろうと、今になって思う
— 風信子 (@studiohyacinth) April 25, 2016
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