日本人として、当たり前に死んで行くと思っていた私でしたが、アメリカ人になりました。 それでも、日本は私が生まれた国、私の大切な人達が住む国です。
ウランバートル鉄道が貨物を60繋げてると驚いていたけど、私が子供の頃は、それぐらい貨物をつなげた汽車が通ってたような気がする。いっぱい数えられたっていう幼い満足感が、こんな風に覚えているのかな。石炭を積んだ貨車、大きな箱、石油、いろんな形があって面白かった。遠い日の思い出だね☺️— 風信子 (@studiohyacinth) 2019年2月25日
ウランバートル鉄道が貨物を60繋げてると驚いていたけど、私が子供の頃は、それぐらい貨物をつなげた汽車が通ってたような気がする。いっぱい数えられたっていう幼い満足感が、こんな風に覚えているのかな。石炭を積んだ貨車、大きな箱、石油、いろんな形があって面白かった。遠い日の思い出だね☺️
0 件のコメント:
コメントを投稿